がんばるってしんどい①【長め】努力の仕方やがんばる意味を見失ったら、ちょっと一休み。

こんにちはねこすけです!
今回は、僕が落ち込んだ時にいつもどう考えて立ち直っているかを書いてみました。
備忘録に近いですが、なんとなく元気が出なかったり、エンジンのかけ方が分からない人のヒントになればいいなと思います。
と言っても伝えたいことがなかなかまとまらず取っ散らかってしまってますが・・・。
もはや書きたいこと書きなぐっただけ(笑)
前半は完全なるボヤキというか、弱音というか・・・、な感じなので読んでいてコイツめそめそ鬱陶しい!ってなったら読み飛ばしてください(笑)
いつも通りダラダラと長いので、やることがない時や、なにか待ちぼうけを食らっている時にでもどうぞ♪
がんばることの理由
みなさんは何か頑張っている事ってありますか?
「これが好き」とか「こうなりたい」とか「こんなことがしたい」とか、そんなことを思って頑張ってることはあるでしょうか?
僕にとってそれは絵を描くことであったり、このブログを書いて多くの人に読んでもらうことであったりします。
でもぶっちゃけ、頑張ることってめちゃくちゃしんどくないですか?
がんばっても報われるか分からない。
何かの形になるのかわからない。
誰かのためになるかもわからない。
それをやることによって、未来がどうなるかという自信が持てないまま続けるのはさらにしんどいですよね。
しかも、努力してもしても上にはすごい奴がたくさんいて、年下でも経験年数が下でも自分が欲しい物をサラッと持っていく人もたくさんいる…。
そんな中で、下位互換でしかない自分がやる意味なんてあるのか?
すでにできる人がいる中で、自分が頑張って頑張ってやっとその高さに並ぶことに意味があるのか…?
努力することに疲れたとき、そんな風に考えてしまうことありませんか?
ぼくはあります。
がんばるってなに?
僕が頑張ってきたことと言えば、ずっと絵が好きで上手くなりたくて独学で勉強してきたことぐらい。
絵がうまいかどうかは自分でもよくわからないけれど、多分今まで費やしてきた時間相応には人からうまいと言ってもらえるのではないかと思います。
子どもの頃に好きな漫画の模写から始めて、ただひたすら好きという理由で続けてきたのが絵を描くと言う趣味です。
でも、所詮は独学。
少し大人になり、絵について本を読んだり描き方の講座サイトを見始めたのは大学生になってからでした。
それまでずっと自分なりの方法でしかやってこなかった僕は、漫画サークルで絵を描いたことない先輩がメキメキうまくなっているのを見て衝撃!
講座サイトをみて練習したと聞き、僕はやっとそういう媒体で「絵の勉強」をするという考えに至ったのでした。
例えば、数学の勉強をするなら教科書や参考書を用意しますよね。
でも僕にとって絵は全くそういう概念と言うか、とらえ方をしていなくて、「絵を学ぶ」ということ自体必要なことだと認識していませんでした。
だから、初めて本やサイトで絵の描き方講座を見た時の衝撃は大きかったです。
好きな漫画だけを見て、限られたカットやシーンからしか技術を盗めなかったのと比べて、講座は全てが理論を基に体系づけられて、ステップを踏んで説明してくれる…!
そのなんとわかりやすいこと!
そのまさに「技術が身についていく感覚」は僕にとってとても新鮮でした
だけど、それと同時に思いました。
「これまでの時間ってなんだったんだろう…?」
ただ闇雲に頑張ってきた今までは何だったのだろうと…。
もちろん、すべてが無駄だなんて思いません。
でも、もっと早くからこういう絵の学び方をしていれば、僕はもっと早く上手くなれたんじゃないか。
もっとたくさんのことを手に入れることができたんじゃないか・・・。
今までの自分の努力を否定したくはないけれど、そんな風に感じてしまったことに少し悲しさを覚えました。
そして、サークルの後輩、神絵師K君の存在…。
K君は僕に希望をくれるとともに、僕の「時間を費やしてきた」という努力をへし折る存在でもありました。
上を見れば高い山だらけ
今まで、僕は僕なりに努力してきたつもりでした。
だけどやっぱり、何事にも上手い人って星の数ほどいるんですよね。
これまでずっと絵を描いて努力をしてきたけど、それでも自分よりも上手い人ってめちゃくちゃいるんです。
もちろん、その人達だってたくさん努力をしてきたはずです。
たくさん時間をかけてきたはず。
でも、それは僕も同じじゃないの?
なのにどうして僕はそんな風になれないんだろう・・・。
努力が足りないと言われれば、そりゃもう100%その通りです。
でも、自分ががんばっても手に入れられないものを、もうすでにたくさんの人が手にしているのなら、そもそも自分ががんばる意味ってなんなんだろう?
「別に自分が絵を書かなくてもいいんじゃないか?」
僕が作る砂山の10倍、100倍、1000倍大きなものを作れる人がすでにいるなら、ぼくが作るこのちっぽけな山に何の意味があるんだろう・・・。
趣味とは一見自由なように見えて、精神的な部分ではひどく脆くて厄介なものです。
やるもやらないも全て自分で決めることができます。
そしてその動機のほぼすべては本人が「そこに意味や価値を見出すか」にかかっています。
それが無になったとき、多分人は続けることを止めるんでしょう。
努力は無意味に弱い
個人的に、人は「無駄」とか「無意味」というものにすごく弱いんじゃないかと思います。
もし宝くじを買ったら必ず3億当たるよ。って言われたら多くの人が宝くじを買いますよね。
ぼくも100枚くらい買うと思う!
「○○すれば△△になる」
そうゆう見通しや未来像があるからこそ、人は頑張れるんだろうなと最近よく痛感します。
そういう意味で、僕の今まで払ってきた時間やがんばり、努力というものは僕が望む結果には届いていなかった・・・。
だから、僕は努力に対して「無意味さ」を感じてしまったのだと思います。
失敗をすると、人は疑心暗鬼になります。
「このまま努力して、本当にほしい結果が手に入るのか?」
「このまま続けて何か価値は生まれるんだろうか?」
「○○しても、△△に“ならないかもしれない”」
その不安な心はひどく足を重くして、歩みを阻みます。
ソウルジェムが濁る理由
話は少し変わりますが、みなさん「まどか☆マギカ」を見たことはありますか?
ネタバレすると、魔法少女が魔法を使っているうちに命の源であるソウルジェムが濁り、最後には倒すべき敵である魔女になってしまうと言う話です。
その中に、暁美ほむらという女の子が出てきます。
彼女は全ての真実を知っており、大好きな親友のまどかを魔法少女にしないため、何度も魔法で時間を巻き戻しては彼女を救おうとします。
その当時、まどマギを見ていて僕は思いました。
なぜほむらは魔法を使い続けてるのに、ソウルジェムが濁らないんだろう?
確かに魔女を倒せばソウルジェムの濁りを清めるアイテムが手に入りますが、たぶんそれだけじゃなくて、そもそもソウルジェムが濁ることの意味が他にあるんじゃないかと僕は思います。
無意味さを感じたとき、人は色んな事を諦めてしまいます。
ほむらが何度も失敗して、時にまどかを殺す未来を体験してもなおソウルジェムが濁らなかったのは、ひとえに 彼女がまどかという目標を前に決して未来への希望を捨てなかったからなんじゃないかと思います。
そもそも魔法少女が魔女になってしまうのは、影の世界で懸命に頑張りながらも誰にも知られることも、顧みられることもないことで 自身の存在に価値を見出せず、無意味さに失望してしまうからなんじゃないでしょうか。
一つのことをがんばり続けるのはしんどい。
何度も何度も失敗する中でも、それでもまだがんばり続けるのはもっとしんどい。
それでも、10回失敗したなら11回目に、100回失敗したなら101回目に成功を願って進み続けたほむらは本当に強かったんだなと思います。
でも、明るい未来を信じ、ずっと一人戦ってきたそんなほむらでも、一度ソウルジェムが濁りかけたときがありました。物語終盤だったと思います。
それは、今までがんばって、がんばって、今度こそ、今度こそ・・・と辛い中耐えてきた先にあったのがやっぱり絶望で、これから先にはもう望んだ未来は訪れないのではと不安と悲しみが大きくなった時でした。
100回目の失敗によってまだ訪れていない101回目の未来すら失望し、「あぁ、もう無理なんだ」と絶望で未来を真っ黒に塗りつぶしてしまったとき、ソウルジェムは濁ってしまいました。
話が逸れましたが、現実世界もきっと似たようなものなんだと思います。
たくさんがんばった分、結果に期待する心は大きくなります。
そしてそれが叶わなかったとき、ソウルジェムは濁ってしまいます。
「今」ではなく「未来」が真っ暗になった時、人は諦めて進むのをやめてしまうんだと思います。
僕のソウルジェムも濁る
このブログを立ち上げたのは去年の11月でした。
自分自身が頑張るために、たくさんの人の力になれるように、そう思ってこのブログを立ち上げました。
専門学校にも美大にも通ったことのない僕だけれど、それでもただがむしゃらに努力するだけでなく、もっと効率よく、楽しく技術を身につけて頑張れる方法があるんだよ!
そんなことを発信できるようになれればいいなと思っていました。
だけど、最初にも言ったように、何度も言ったように、どんなことでもうまい人なんて上を見れば星の数ほどたくさんいるんですよね。
サイトだってそう。
少し検索するだけで、僕よりもっとたくさんの知識や技術や経験を持っていて、より身になる情報を発信しているサイトは五万とあります。
じゃあ僕ががんばる意味ってなんなんだろう?
別に僕がこのサイトを立ち上げる意味なんてなくない?
他のサイトはこんなに沢山あるんだから。
そんな考えに陥るたびに僕のソウルジェムは黒く濁っていきました。
サイトを立ち上げたことは全く後悔していないし、自分が技術を発信する場を持つことで自分自身も高めていけるように、そして誰かの役に立てるように・・・。
そう思って更新しています。
それでも、「人に求められていないかもしれない」という不安は、努力すること自体の意味を問いただしてきます。
この問いに対する明確な答えを僕は未だに出せません。
つづく。
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